比例。
「類は友を呼ぶ」は、主従にも言えると思うのです。というより主従こそがまさにそうかも…と思うようになりました。
知的レベルも、人間性も、比例するのだと。
もちろん、自分とは正反対で自分にはないものを持っているからこそ、惹かれる事もあるし、尊敬できる事もあります。
ただ、本当に心から人として主様として尊敬できる人を求めるのならばまずは自分を磨く事。
見抜く力を養う事。だと思っています。
そして相手から信用される事・信頼は、背伸びして自分を取り繕って故意に勝ち取ろうとするものではないです。
関係を築き上げていく過程において自然と成り立っていくものだと。
焦らず急かさず真摯に本心で向き合えば、いずれ誠意は伝わる。お互いの心が見えてくる。
耳障りの良いだけの言葉は何の意味もない。
言葉は行動が伴ってこそ発揮される、証明される。のだと思います。
こう思うようになったのは、数々の失敗をして来たからです。私はずっと、主従とは支え合いだと思っていました。聞こえは良いのですが、いつも失敗には共通項がありました。
今はその失敗の原因がわかったので、次は同じ失敗をしないよう細心の注意を払いたいです。失敗は誰にでもあるけれど、同じ過ちを繰り返すのではいつまで経っても成長しない。支え合うという名目の、傷の舐め合いはもう必要ないのです。
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