救世主。
生きる気力さえ失っていた日々。毎日が地獄のようでした。
そこからようやく抜け出す事ができたと思っていましたが、信念を曲げてまで相手を信じてみようとした自分の事を、まだ許し切れていないようです。
救世主になりたがる人にはある特徴があり、弱っている人の心を掴むための策略として定型文があるようです。
その時はそれが、あるあるだとは知りもしませんでした。
または本気で我こそが救世主だと思い込んでいる場合もあるので、必ずしも策略とは限らないとも思うけど、どちらにしても自分がどんな方を慕いどんな方とどう幸せになりたいのかを知り、見極める力が必要だと思います。
今はそれがわかるようになったので、少しは成長したのかな…。
スケールの大きな事を意気揚揚と語ったり親切を装って恩を着せたり、恐怖や不安を煽って支配しようとするのは最早支配ではないし、救世主などいないという事も理解できるようになりました。
それでも頼りたい気持ち、拠り所が欲しい気持ち、あると思うのです。
その気持ち自体が決して悪だとは思いません。特に他者に対しては寛容でありたいと思っています。
だけど現実としてやっぱり救世主なんていないのだと思います。
それにいつか誰かが救ってくれる。だなんて、他力本願です。
自分でなんとかしなきゃ。トラウマが消えなくて悪夢を見る事は自分の意思では止められないけど、地に足ついて自分の中でなんとか折り合いをつける事ができるようになりたいです。
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