妃奈の部屋

妃奈の中の世界をつらつらと。感じるままに。思いのままに。 Sapiosexual, Sapioromantic

悪い癖。

前回の続きです。



その私の悪い癖とは、お互いの事を知ろうとしてお話を進めていく最中に、相手に対して違和感を持ったり、嘘で塗り固められている事に気付いたりしても、すぐに切らない(切れない)ところです。



客観的に見ると本当にバカ以外の何者でもないのですが、どんな事でも全てに当てはまるのですが、まず、「相手が悪い」とか「他者がおかしいのだ」とはならなくて。

その逆なんです。



モラルやマナーから逸脱したものでも、生理的に受け付けないものでも「理解できないのはもしかしたら自分の心が狭いのが原因なんじゃないだろうか」とか、「もしかしたら自分が不寛容なだけなのかも…」と必要以上に自戒の念が上回ってしまうのです。



要するに、自分自身を強く持っていそうで、実は全然持てていないのだと思います。



いろんな人がいて当然とはいえ、どんな事でも世の中にある全てに理解を示し許容できるわけがないし、それに多様性という言葉を前面に押し付けて全てを寛容できる人が別に偉いわけでも何でもないのに…。



最近は考えが改まりましたが、元々は根っからの自分の事しか考えていない人や悪い人は居ないんだ、という思考なので、騙すつもりや悪意があってやってるのではなく、何か色々な背景や事情があってそうなってしまっているんだろうな…。と考えてしまうからです。



そもそも、特徴として、何かに傷付いた人が多かったからというのもあります。

背景は様々ですが、過去に酷い目に合っていたと告白される事が多く、それが共通点でした。

だから、嘘が大嫌いで裏切りのない誠実な関係が欲しいと訴えて来る人が多く、それ故に強い絆を感じられる主従を求めていると話してくれた人が多かったです。



私としては経験や育って来た環境は全く違っていても、形成されたものって何も家族関係だけではないから、求める関係性に置いてはわかる部分も多くて。

私も曖昧なものや自己保身による誤魔化しが大嫌いで、真っ直ぐな誠実な関係性に惹かれていたので、求めているのは同じかもしれない。理解し合えるかもしれない。と思って、もしかしたらこの人となら本当に望む関係を築いていけるのではないかという想いがあり…。



今までは色々裏切られて傷付いたかもしれないけど、私がその傷をカバーしてさしあげられたらいいな。って。

私こそは貴方に誠実に向き合っていきたい。今度こそお互いに心の底から安心できる関係を築いていきたいって。そう思ってしまい…。



そしてこの関係の醍醐味は、”お互いのありのままを、お互いに良い部分もそうでない部分も理解し合い受け入れ、受け止めて、そして共に成長し乗り越えていく事にあるのだから”と。

相手を理解したい、受け入れようとしてしまいます。



もちろん、お互いにその努力や覚悟があれば、成立するのかもしれないけれど、結局はめちゃくちゃな事に後から気付きます。



相手は口では偉大な事をたくさん言うものの、結局は主である俺の事だけを受け止めて受け入れて欲しい、わけで。

そして私の良い部分だけが大切で、私の悪い部分は躾と称し否定すれば済み、挙げ句の果てには都合が悪くなると一方的に突き放すわけであるから結局は最初から受け入れる気などないという事に気付きます。



だが、それに気付いた時は、もう時すでに遅しで…。



もう、そこにいく時点でなんらかの形で依存している(させられている)ので、おかしさに気付いていても、私からは切る事ができないというか、切る事をしない私がいるのです。




おかしいと感じるだけでなく、確証があった場合でも、今からでも悔い改めて正直にお互いを曝け出して話し合えば良い関係を築いていけるのではないか。と考えてしまいます。



相手を変える事は無理だけど、一緒に乗り越えていく事はできる。

私さえ、許容できて、ダメな部分も全て受け入れる事ができれば、相手もだんだんと変わっていくんじゃないか。と。



まずは私が変わる事からはじめる。心から寄り添う。

そうすれば相手だって生身の人間なのだから徐々に少しは自分を省みる事を知ったり、相手があってこそ成り立つという事に気付いてくれるんじゃないかな。

誰だって完璧じゃないのだから、人として本当にダメな部分も変わりたいという意思さえあれば努力次第で変わっていける。だから一緒に乗り越えていきたい。

全て正直にお互いの前では素直に曝け出す関係を築いていければ…。と考えてしまいます。



要するに、人間を過信し過ぎ。そして良いものだと思い過ぎなんですよね。



向こうからすれば、実に便利な相手ですよね。

俺、お前と一緒に居たい。変わりたい。と言えば信じてもらえるのですから。

結局、いつも自分が無知だからダメなんだ。

と、こういう結論に達してしまいますが、決してバカ呼ばわれされるのが好きなわけではありません。



中には他責するのが本来の人間の姿であるのだから、自責する人、内省する人=傲慢な人間なのだ。と考える人もいるようですが、結してそうではないと私は思っています。



それこそ何でも他人のせいにするのは簡単で。

でも、人のせいや社会のせいにばかりしていては、いつまでたっても成長はないし、同じ過ちを繰り返してばかりになると思うのです。

だからこの先は私も自分なりの幸せを見つけていきたいので、まずは自分と真剣に向き合って少しずつでも変えていきたい、変わっていきたいという想いが強くあります。



なかなかすぐには難しいけど、これからは自分の本音をごまかさない。

心を大切にする。無下に扱わない。

これから時には自身を労る事も覚えて、もっと大切に扱ってあげようと思います。