依存と自立。
主様とは常に繋がっていたいので、自分の中では日常と非日常を分けるという考えは持っていません。
主様とノーマルな恋人とのお付き合いを同時進行…という事も私には到底できません。
どちらも。という事はできないので、主様か恋人かのどちらか一方に深く集中するという事になります。
しかし
日常と非日常を分けているわけではないのに、主従だと深く深く…どこまでも深く繋がりたいと望むのに、ノーマルな恋人や結婚相手に対しては、それなりの距離感を必要としてしまうのです。
主様にはぎちぎちに心も身体も縛られて強く繋がれる事を望み、自由なんて要らないと本気で願うのに…
ノーマルな出会いには、必然と強い自立心を伴うので、束縛されたりあれこれ制限されたりすると、こんな風に思います。
「私の自由を奪う権利は誰にもない。貴方に制限される筋合いはないよね。」って。
依存は良くない。と知りながら、やはり主様にはどっぷり浸かってしまいたいのだろうと思います。
それが、私の芯の愛し方なのかもしれません。
今まで、主従を愛情表現だとしてしまうのは自分の中で違和感があったのですが、もしかしたら私にとっても主従は愛情表現なのかもしれませんね。
主様には心の奥底、身体の奥の奥まで全てを把握されている事で特別感を感じますし、人間でありオンナであり、牝である事をおのずと意識せざるを得ない事で、主様には何かも敵わないと平伏す事ができるのだと思います。
やはり何もかもコントロールされる事で安心するのは、主様が私にとっては頂点であり、特別な存在であるからでしょう。
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